心の修理屋さん

脳が感じる心の辛さの体験記、気持ちを和らげるために試したこと

消えたいと思う心

逃げたい、消えたいと毎日考える

気持ちを切り替えようとすると余計考える
 
消えたいと思ってはいけない、何故?
人間は生きるべきだから、それが自然の摂理だから?
いや、そんな事はない。自分を種の保存に役立たないと判断すると自ずから死を選ぶ動物もいる。
 
俺は自分自身が世の中の役に立たないと考える
特に激高してコントロールを失った時に考える
役に立たないから居なくなった方がが良いと考える
当然といえば当然ではないだろうか
自分が役に立たないと考えているのに生きたいと考えるのはワガママではないか
消えたいと考えて正常だ
 
だから消えたいと考えていい
消えたいが頭から消えないくて良い
 
だが、そう簡単には消えることは出来ない
それもよくわかっている
子供の頃に消えたいと思い始め、30才までには死ぬと思っていながら今40才になっても生きているから
 
自分の中では矛盾していないことを確認したほうが良い
自分が消えても世の中は困らないし変わらない
会社と同じで誰かが辞めた瞬間は周りが動揺するが次の人が組み込まれると忘れる
誰かが消えても同じ事
 
当たり前だけどそうやって人間社会はできている
もちろん生きていても体制に全く影響はない
働かない人が居るが世の中は困らないのと同じだ
 
だから、消えたいと考え、誰かを恨み続けても良い
自分が自分を非難している方が良い、身体に悪いが良い
自分を壊そうとする、その行動が悪いののではない
何故、心身とも健康でなければいけないのか
 
何故、国が有り、家族が有り、グループを守ろうとして人間全体を守ろうとはしないのか、ソレは優位と思われる種族を残そうとしているのだ
全部を残そうとはしない、平等になんか世の中はならない
それが自然だから
そうやって種を保存しようとしてるだけだから
 
人間全体を守ろうと貧困を無くそうする人もいれば
特別な階級だけを残そうとする人もいる
俺のように完全な傍観者になろうとする人もいる
 
宗教もセラピストも何千年も前から存在し永遠に解決できない人の悩みを扱う
永遠に解決しないのは人間全ての考え方を一つにできないだけなのに
ある考え方に合わせようと強制しようとすることが彼らの役割
何故、宗教の教典が有り、何故、精神を落ち着かせるノウハウ本がここまであるのか
皆、自分のナチュラルな思考を責めているからだ
社会がそれではいけないと言うからだ、だから苦しむ
苦しませる目的は、野生の人間を世の中に役立つ人間に矯正しようとするからだ
 
 
自分の思考でいい
消えたいでいい
恥をかくのは嫌だで良い
誰かを恨み続けて良い
 
自分の思った行動で良い
ソレを自分で責めて良い
苦しくて恥ずかしくて死にたくて
朝起きても憂鬱で夜も睡眠導入剤を飲まないと寝れなくて
それで良い
 
自己肯定感とか、自信を持つとか必要ない
自信もなくて良い
楽に生きなくて良い
苦しくて良い
 
 
これがキーワードだと思う
楽をしようと、楽になりたいと、楽しくなりたいと、ハッピーで居たいと願う
ソレが問題
ハッピーになって、心が平和で、ソレでどうする?
仕事を興奮せずに落ち着いて出来る?
新しい発想が生まれる?
 
そういう平和な人が、過去に自己嫌悪に苦しんで絵を描いた画家の作品を良いという
思考がいっぱいになり自殺するまでに苦しみ続けた作家の本を良いという
 
誰ひとり心の平和など得ることは出来ない
得ることを出来ないから宗教もノウハウ本も無くならない、英語のように
また自分が少しでもハッピーだと思いたいから、他人が苦しんでいることを責めようとする
 
「苦しくて良い」